2025年6月8日
空海という「不治の病を癒す僧侶」がなぜ1000年以上も崇拝され続け、しかも今なお“生きている”とされるのか?
その問いに、医学・科学・宗教・スピリチュアルの観点を交差させながら、筋トレエステ銀座の思想との接続までを一気通貫で唯一無二コラムにしました。
真言宗との出会いは、佐渡島の長谷寺でした。その後、筋トレエステ銀座には、平安後期の仏像が届けられました。また佐渡島で大昔に発掘された水晶入りの赤玉石も玄関に飾っています。とても貴重な石だそうです。
佐渡島で真言宗と出会い、和歌山県高野山にいくこととなりました。その中で空海はまだ生きているというお話しをお聞きし、多くの企業が企業永続を願い企業墓地を高野山においている風景をまじかにみました。その際、空海の思想と私の思想が何か近しいものを感じたのです。もちろん比叡山にも生きましたが私は空海の思想に近いと感じたのです。そこで今回のコラムを準備しました。
日本において「死後も生き続けている人物」は数えるほどしかいません。
その筆頭が、平安時代の天才僧侶・弘法大師こと空海です。
彼は835年に入定(にゅうじょう)―つまり瞑想に入って永眠したとされますが、真言宗では今なお彼は高野山奥之院で瞑想を続けているとされ、「御廟(ごびょう)」では今も毎朝食事が運ばれるのです。
いったい、なぜ空海は“死んでいない”とされるのでしょうか?
そして、なぜ今なお不治の病を癒す存在として世界中から崇拝されるのでしょうか?
空海と最澄は、日本仏教の2大巨頭です。だが両者には決定的な違いがあります。
比較項目 | 最澄(天台宗) | 空海(真言宗) |
---|---|---|
中心思想 | 法華経・一乗思想 | 大日如来・密教 |
修行法 | 読経・戒律 | 身体行・印・真言・瞑想 |
世界観 | 法=普遍の理性 | 法=即身(この身そのもの) |
身体観 | 身は穢れとして昇華される対象 | 身=悟りそのもの(即身成仏) |
空海が説いた「即身成仏」は、「この肉体をもって悟る」という驚異の思想でした。つまり、身体を通じて霊性が開かれ、治癒や変容すら可能になると捉えたのです。
この「身体と霊性の一体化」の思想が、やがて「病を癒す力」や「霊的治療」の基盤として信じられるようになりました。
現代医学は素晴らしい成果を上げています。しかし、
「治せない」と言われる難病
原因不明の痛み
繰り返す鬱や自律神経の乱れ
医療に“心”が感じられない現場
こうした限界に直面した時、人は身体の“奥”にある何かに向き合わざるを得ません。
空海が説いた密教の身体観は、「科学が届かない次元」へのアプローチでした。
身体そのものが宇宙の反映であり、呼吸・真言・印(手の形)を通じて宇宙エネルギー(密)とつながる。
つまり、医学が手放した部分にこそ、空海の思想が生きているのです。
理由は3つあります。
現代医療では、身体は見ても「魂」は扱わない。
しかし、苦しみの根は「生きる意味の喪失」であることが多い。
空海は、病=魂の声として聞き、言葉・呼吸・動作で整えた。
空海に祈った結果、病が癒えたという体験談は1000年単位で集積されている。
これは「プラセボ」の域を超え、「集合的記憶」の領域に入っている。
空海は単なる歴史的人物ではない。
**「空海とは、癒しと変容を起こすメタ概念である」**とも言える。
人々の“内なる空海”が、回復力・信仰・意味づけを起動させる存在として生き続けているのです。
我々「筋トレエステ銀座」は、エステでもジムでもない。
私たちは以下のように考えています。
美と健康とは、身体の奥深くにある“自己回復力”との再会である。
それは空海の「即身成仏」=身体そのものが悟りへの道、という考えと重なります。
私たちは電気(EMS)という「現代の真言」を使い、
眠っていた筋肉を目覚めさせ、
呼吸を整え、
姿勢という“型”を整える中で、
クライアントが「本来の自分」を思い出すプロセスを支援します。
つまり、筋トレエステ銀座は、“身体を通して魂を癒す”現代の道場です。
空海が本当に病を治したのか?科学的には証明されていません。
しかし、人は彼に出会うことで、「自分の中の力」に気づいたのです。
我々もまた、「治す」のではなく、「気づかせる」。
電気で筋肉を動かすことで、“私という宇宙”に気づいてもらう。
それこそが、筋トレエステ銀座が空海から受け継いだ哲学なのです。
空海はたしかに生きてはいません。
けれど、彼の思想と存在は、人々の内なる自己回復力を目覚めさせるものとして「生きられて」います。
私たちは、空海のように生きたい。
人を癒し、人に気づきを与え、そして身体そのものが悟りの場であると信じて。
筋トレエステ銀座は、現代の密教的ボディケアとして、
今日もまた誰かの「病の奥にある願い」に寄り添っています。