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「内面の美」とは一体何か?

2024年2月13日

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歴史あるミス日本コンテスト

まずは一般社団法人ミス日本協会より全文は以下の通りです。

『ミス日本コンテスト』が誕生したのは、太平洋戦争終結直後に遡ります。そのころの日本は、衣・食・住の全てが不足しており、子供たちの多くが栄養失調でした。それを救ったのはアメリカの「Licensed Agencies for Relief in Asia : アジア救援公認団体」から送られてきた脱脂粉乳などの食料や衣類でした。それらは団体の頭文字をつないで「LARA(ララ)物資」と呼ばれ、日本復興への大きな救いとなりました。これに対して、1947年7月の衆議院本会議で緊急の感謝決議が全会一致で採択されています。それから3年後の1950年。あらためて米国民に感謝を伝えるための女性親善使節を送ることになりました。その選抜のために開催されたのが読売新聞主催の『ミス日本コンテスト』でした。その結果、日米親善使節「ララ救済物資感謝答礼使節」、つまり初の『ミス日本』として選ばれたのは、後に大女優となり、昭和時代の美人の代名詞ともなった、山本富士子さんでした。彼女の持つ「柔かさの中に秘められた鋭さとゆるぎなさ」=「凛とした気品」は、日本女性の新しい美の基準となりました。読売新聞社主催によるミス日本コンテストは1952年にも開催され、日比野恵子(ひびのけいこ)さんがミス日本に輝きました。しかし、ミス日本コンテストはその後しばらく中断してしまいます。これを1967年に復活させたのは、痩身健康美容として「和田式フィギュアリング法」を提唱実践した和田静郎を代表とする和田研究所でした。和田静郎は、当時、テレビ美容体操の指導者としても脚光を浴びていました。そして、1970年の大阪万博開催にあたって、岸信介元総理の親書を持って各国を訪れ、万博成功への道を開く一助を担いました。1968年の復活第一回大会から2017年の第49回大会までを主催した和田研究所は、ミス日本の更なる発展を目指して2017年7月に結成された一般社団法人ミス日本協会に、ミス日本コンテストの主催とミス日本の運営を移管し、その理念を継承しました。日本では明治時代から美人コンテストが行われてきましたが、それは写真による美貌(顔立ち)のみが審査の対象でした。しかし、欧米化が進むとともに美意識が肉体美へと移行するのにともない、ミスコンの多くは八頭身に代表されるプロポーション審査へとその比重を変えてきました。そのような流れのなかで、ミス日本の第一の特徴は「容貌」「容姿」に加え、「教養」「心映え」を重視することにあります。それは、第一回開催の精神をかたくななまでに尊重し継承しているからです。そして、第二の特徴は、国際大会のための日本代表を選ぶのではなく、日本国内において完結する『日本女性の美の最高位』を選び、栄冠を贈ることにあります。

そもそも論、見た目を競う必要ってある?

このようなコンテストが開催されることに反対する意見もどんどん増えてきています。ミスコン系は、参加者からお金を取っているものばかりです。

ビューティービジネスに長年従事してきて感じている事は、コンテストがビジネスであるということです。お金稼ぎのビジネスであるということを忘れてはいけません。商売である以上は、国民的ではないということです。あくまで一部です。他者から認められたいという承認欲求を刺激するコンテストなのでしょうが、すかんですね。心理学者のマズローが提唱した「欲求段階説」における4段階目にあたる「欲求」を刺激するわけです。いやいや「自己実現欲求」じゃないという意見もあるでしょうが参加の内面によるので「わかりません」となります。マズロー説は、もう古いという心理学者もいるくらいです。時代とともに変化していくものでしょうから現代心理学とか、平成心理学とは、令和心理学とか、どんどん学者や専門家には積極的に発表してほしいなぁ。読んでみたいです。学べば学ぶほど「心理学者って?」って疑問になります。とても有名な方から講義を受けたことがありますが、この程度なんだなと率直な感想をもったことを学生ながら思い出しました。要するに理想とする学問のような「すばらしい」「素敵」な人間に心理学を学んでもなれませんという結論です。自己理解を深めるために心理学を学ばれる方々がいるようですが、心理学を学びましたなんて言わない方がいいです。そういう目で見られても大変ですよ。心理学を学んであの程度なんだねって笑われます。だって多かれ少なかれ批判したい方々が圧倒的多数ですから。嫉妬で満ちた人間世界ですから。人に好かれる術を学ぶ講座も多数存在しますがあくまでエビデンスレベルの話であって、それがすべてではないということです。個性はどこへ?あくまで理屈や理論はわかりましたよという学術レベルであるという認識でいないと。心理学を実践的に使いこなすなんて、逆に怪しすぎる出来すぎ君状態です。人間らしいのか疑問です。人間関係で悩んだり、どうしたら部下や上司を上手く付き合っていけばいいのかって悩んだり、何かを学ぶ前に、悩んでいることを共有するところから始めていけば良いのです。シンプルです。人間関係はもめて当たり前です。人間関係の問題から逃げないこと。話し合いで解決できない人達は、危険です。精神的に辛すぎるなら問題からさっさと逃げれば良いです。生き方は、人ぞれぞれ。ミスコン系に出たいなら出場すればいい。大前提は、その人がその人らしくいれる環境に身をおくことですから。周囲から何と言われようと否定されようと我が道を行けって話です。トライアンドエラーを繰り返しながら生きていくのが人間らしいのだから。

心理学者マズローの欲求5段階説とは?

マズローの欲求段階説について簡単にまとめてみます。インターネットを検索すればたくさん出てくるのであえてこの場で書く必要がないなと思っているのですがSEO対策的には、必要要素なのですでにご存じの方はお付き合いいただけましたら幸いです。経営や看護の分野では、飽きるほど説明され、飽きるほど使うので今更感満載ですが、マズローという名前を大学院で学ぶまで知りませんでした。そんなもんです。アブラハム・ハロルド・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908年4月1日-1970年6月8日)は、アメリカ合衆国の心理学者。アブラハム・マズローといえば、人間性心理学の生みの親と言われ、心理学の分野で特に人間の動機付けについて重要な影響を及ぼした人物。彼が提唱した「マズローの欲求階層説」は今日でも広く理解され、心理学だけでなく、経済学や経営学、教育学など多くの分野で利用されています。1940年代、アブラハム・マズローは人間の行動や欲求を理解するための新たなフレームワークを提案、それが欲求階層説であり、人間の欲求を5つの階層に分け、それぞれの欲求が満たされることで次の階層の欲求が目覚めると説明しています。

マズローの欲求段階説について

「マズローの欲求段階説」とは、人の欲求には段階があると考える理論です。

段階には5段階あり
一番下の欲求から順番に
①生理的欲求
②安全欲求
③社会的欲求
④承認欲求
⑤自己実現欲求
そして最上位に自己上越となります。
それでは欲求を順番に解説していきます。

マズローの欲求5段階説は、アメリカの心理学者アブラハム・マズローによって考案された理論でこの理論は人間の基本的な欲求を5つの階層に分けています。それぞれの階層は、下から順に次のようになります。

第1段階:生理的欲求(Physiological needs)・・・欠乏欲求
生命を維持するために必要な欲求で、食欲、睡眠欲、性欲などが含まれ生存本能を満たしたいという欠乏欲求です。

第2段階:安全欲求(Safety needs)・・・欠乏欲求
安心して暮らすことや身の危険を守ることへの欲求です。事故や災害時に現れます。コロナウイルスにかからないようにしたい、失業しないようにしたいなど、自分の生活の安全を守りたいという欲求が、安全欲求です。

第3段階:社会的欲求(所属と愛の欲求)(Love/belonging needs)・・・欠乏欲求
集団の一員でありたい、社会から必要とされたいという欲求です。愛情も含まれます。学校で友達を作りたい、職場で助け合える仲間を作りたい、恋人がほしい、仲間を得たいという欲求が、社会的欲求です。

第4段階:承認欲求(尊敬の欲求)(Esteem needs)・・・欠乏欲求
誰かに認められたい、尊敬されたいという欲求です。自己評価と他者からの評価の両方が含まれます。周りの人から「いいね」「すごいね」「かっこいいね」「きれいだね」「かわいいね」など、認められて自尊心を高めたいという欲求が、承認欲求です。

第5段階:自己実現欲求(Self-actualization needs)・・・成長欲求(存在欲求)
理想の自分になりたいという欲求で、個々の才能や目標を追求します。曲を作ることが好きで自分の思う最高の曲を作りたいとか、サッカーが好きで自分の力を発揮して大会で優勝したいなど、自分らしさを追求していきたいという欲求が、自己実現欲求です。

第6段階:「自己超越欲求」(peak experience, Self-transcendence)・・・ゾーン
自我意識が消えて、すべきことに極度に集中しているような心理状態のこと。また、自己にとらわれない行為を志向する「生きる態度」のこと。著書「完全なる人間」より引用すると「自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである。それは、不動、非人格的、無欲、無私で、求めずして超然たるものである。自我中心ではなく、むしろ対象中心である…(中略)…美的経験や愛情経験では、対象に極度にまで没入し、「集中する」ので、まったく実際のところ、自己は消えてしまうばかりである。」
要するに無我夢中ということです。

マズローの欲求5段階説は、人々の行動や欲求を理解する上で重要な理論とされています。
以上がマズローの欲求段階説です。

マズロー名言集

What is necessary to change a person is to change his awareness of himself.
人を変えたいならその人の意識を変える必要がある。

If you plan on being anything less than you are capable of being, you will probably be unhappy all the days of your life.
自分にできることよりも簡単なことしか行っていないとすると、あなたは自分の人生に物足りなさを覚えることになるかもしれない。

Being a full human being is difficult, frightening, and problematical.
完全な人間になることは難しく、そして恐ろしいことだ。完全というのは人間として問題でもある。

One’s only rival is one’s own potentialities. One’s only failure is failing to live up to one’s own possibilities.
あなたの唯一のライバルは自身の可能性である。あなたの唯一の失敗は自身の可能性に生きないことである。

Life is an ongoing process of choosing between safety (out of fear and need for defense) and risk (for the sake of progress and growth). Make the growth choice a dozen times a day.
人は成長のために進むか、安全を求めて退却することも出来る。成長するためにはこの判断を繰り返さなければならない。そしてその度に恐れも克服しなければならないのだ。

I can feel guilty about the past, Apprehensive about the future, but only in the present can I act. The ability to be in the present moment is a major component of mental wellness.
過去について後悔することも出来るし未来について心配することも出来る。しかし、我々が行動できるのは現在だけである。今、この瞬間を生きる能力は精神的健康を支える上で欠かせない要素である。

If you plan on being anything less than you are capable of being, you will probably be unhappy all the days of your life.
持てる可能性をすべて試しきらないのなら、あなたの人生は不幸せになるだろう。

We fear to know the fearsome and unsavory aspects of ourselves, but we fear even more to know the godlike in ourselves.
我々は、自身の嫌な面や不愉快な面を知ることを恐れるが、自身の神のような側面を知ることも恐れている。

Human nature is not nearly as bad as it has been thought to be.
人間の本性は考えられているほど悪くはない。

We may define therapy as a search for value.
セラピーを価値の探求と定義する。

「内面美」「外見美」「行動美」「言美」の4つの美を備えることを「日本らしい美しさ」と定義できるか?

内面美:積み上げてきた知識や人生経験の集大成

外見美:ファッションやメイク等で着飾るパフォーマンスの集大成

行動美:法律を理解した上での行動や宗教観に則った価値の表現活動

言美(ことうるわし):言葉遣いがきちんとしていて、端正(たんせい)である。端正とは、姿・形や動作などが正しくてきちんとしていること

もう少し考える時間が必要ですが現段階ではこんな感じです。短くまとめたいので考え始めると寝れなくなるので改めて定義づけします。もう少し時間が必要なので次回またこの記事を読んでくださるときには、変わっているかもしれません。

「日本らしい美しさ」とは

これは、定義する必要ないかもしれません。日本らしい美しさってヒトには必要ない気がします。なぜなら日本って広いもん。でもね、日本史を改めて大人になってからリカレントするのも良いかもしれません。歴史って本当なのか疑いたくなりますが一応は参考になるのではないでしょうか。邪馬台国の卑弥呼伝説も女性がトップに立ったときにいい国になったと残されています。人間にトップに君臨するのは、性でいえば女性なのかもしれません。女性の社会進出を推進していますが元々本来、女性がいるから成り立つ。そして男性もいるから成り立つ。共存共栄って人間同士からなのでしょう。「日本らしい美しさ」を考察するにあたって、色々な書物を改めて調べなおしてみたいと思います。